Part1
出会いから結婚まで

 凌太が小学6年生の秋、またまた転勤となり、今度は実家まで新幹線で1時間半の距離になりました。遠いからさすがに月に一度帰るか帰らないかとなり、私はますます継子達や姑と会わなくて済むようになって、旦那様との2人の時間を謳歌していました。
 会いに行かなくなったとはいえ、入学準備で凌太や駿平がこちらに来る機会が増えました。まずは凌太の中学校の制服の採寸。それからもう一度サイズ合わせに行って、後は入学前のクラス分けの為のテストがあるといえば新幹線でやってくるようになりました。また駿平も今まで通りに普通の小学校の特別支援学級か、それとも特別支援学校(養護学校)に転校するか、といった選択をしなくてはなりませんでした。ですから二度程連れに行き、両方の学校を見学させました。姑の意向は「今まで通り普通の学校で」といったものでしたが、
「うちは既に生徒が沢山で、駿平君に入ってもらっても思うようなことはしてあげられません」
と言う普通の小学校に対し、
「うちも定員オーバーな状態ですが、駿平君に入ってもらったら精一杯頑張ります」

と言ってくれた特別支援学校に気持ちは傾いていました。
旦那様も
「お前にとって一番ストレスのない方を選んでほしい。やっぱりお母さんが元気がないと家の中はダメになるから。」
と言ってくれていました。ただまだこの時点ではどちらの学校に入れた方がいいのか、自分でも決めかねていました。
ただ毎日、ひどいときは一日に2回も姑から電話攻撃。
「とにかく普通の学校に入れろ
と。

それでその方がいいのかと思い、普通の小学校に入れてもらおうと頼みに行きましたが、行く度に嫌な顔をされ、最後には校長先生まで出てきて「うちは人数がとても多いので、そういうこちらの事情も踏まえた上で最終的な決断をお願いします」と、事実上の「お断り」をされてしまいました。その時は旦那様も一緒に行ってくれていたのですが、そんなことを言われた時は校門を出たところで、私は人目もはばからずに泣いてしまいました。
「どうして?世の中には税金とか給食費とか払わなくても普通に小学校に通える子は沢山いるのに、障害があるというだけで、税金とかちゃんと払っていても入れてもらえないなんて!」
と・・・。
 帰宅して旦那様から姑に状況を説明してもらったものの、姑の返事はこうでした。
「その学校がダメなら他の地域の小学校に越境入学させなさい」
それを聞いて私はまた号泣。
どうしてそこまでしないとならないのか?継子と暮らすなんてそれだけでも色々大変なのに、継子の為に地域外の小学校に毎日送り迎えをしなきゃならないなんて!と。
 結局教育委員会に相談したところ、越境入学というのは簡単には出来ないこと。もしやるのであれば、ご主人の会社の近くの小学校とかになります、とのことだったので、
「あなたが毎朝駿平を連れて電車に乗って学校まで送ってくれるのならそれでもいいけどどうする?!」
と聞くと
「それはイヤだしそこまでして普通の小学校にこだわるつもりもない」
と言うので、旦那様からもう一度姑に説明してもらい、ようやく特別支援学校への転校を納得してもらえたのでした

 色々もめましたが、特別支援学校(養護学校)へ入れて結局は「正解」でした。たまたま良い学校だったのか、環境的に駿平に合うのか、学校が大好きで毎日生き生きと通ってくれています。今思えばあの時普通の小学校に拒否してもらえてラッキーでした。
ただとにかく姑には常に結婚した=子供達の母親になった ということで、継母だから大変だろう、とかそういう感覚は一切なかったようで、そうやって何もかも指図されるのは苦痛極まりなかったのです。まぁ5年間も彼らの世話をしていた姑の思いもわからなくなかったのですが・・・。


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