Part1
出会いから結婚まで

 凌太が中学生になる春に継子達は私と旦那様の家にやってきました。あと一週間遅くても新学期には間に合うのに、4/1(土)、4/2(日)で引っ越しをしました。これに関しても姑は
「今までお世話になりましたという意味で新幹線で迎えに来い」
と言っていて、私は
「迎え入れる側も準備があるので、新幹線でというのならいつもこっちに遊びにくる時のように2人だけで来て下さい。そしたらホームまで出迎えるので」
と言うと
「それじゃ子供達があまりにも不憫でかわいそうだ!」
と泣かれ・・・・。姑の気持ちもわかるけど、それならこちらだって「これからよろしく」の意味で、孫達を姑がこちらに新幹線で連れてきてくれてもいいのに、と思っていました。とにかくこの頃の私はなかなか覚悟が決まらず、寸前までじたばたしていたのでした。ですからとてもとても「おいで〜」と言って新幹線で連れに行く、なんて気分にはなれませんでした。
 でも結局細かい荷物もあるので、義弟の車で姑も一緒に乗って継子達を送り届けてくれることに。考えたらそれが一番ですよね。
 姑と義弟も一泊し、2日(日)に2人は帰っていきました。別れ際は姑は泣いていました。やはり離れるのは哀しかったのでしょう。
 さて、いよいよ同居開始です!
 とりあえず2日(日)は旦那様も居てくれたのですが、月曜日からは3人の生活がスタート。
 最初のうちは何を食べさせたらいいのかもわからず、せっかく作った「かきたまうどん」も玉子がグチャッとした感じが苦手な駿平は一口も食べず、なんてことも。今でこそ好き嫌いはなくなりましたが、最初の頃は苦手なものは一切口にしない駿平でしたので、色々苦労もしました。とにかく毎日時間の流れが遅く、22時半に2人が寝るまで、やたら時間が長く感じたのを覚えています。最初はとにかく家の中のものを荒らされるのもイヤ。冷蔵庫を勝手に開けられるのにも抵抗があったり。・・・今思うとそんな時代もあったんだなー、といった感じです(笑)。
 そのうち色々なことに私も彼らも慣れてきて、別居していた時には気づかなかった2人の「いい面」も沢山知ることが出来ました。
とにかく「母親」として頑張らなくちゃ、と思っていたので、継子達の参観日も欠かさず参加しました。部活も保護者が交替で送迎すると言われれば、積極的に車出しをするようにしていました。とにかく本人達はもちろん、「中学生の子供達」や「お母さん達」に早く慣れたかったので。
 そしていつの間にか2人との生活は楽しいものになってきました。
「こんなことならもっと早く一緒に住んでいたら良かった」
とまで思えるほどに。
 駿平の学校も毎日朝と帰りにバス停まで送迎しなくてはならないのですが、一緒のバス停のママさんがとてもいい人で、我が家の事情も理解してくれて、色々な愚痴も聞いてくれています。
 凌太の関係で知り合ったママさんもいます。継子達のおかげで知り合うことが出来た人というのは彼らなくしては知り合えなかった人達で、ホント、彼らのおかげで私の世界も広がったんだと実感しました。
こんな風に思えるのは継子たちのおかげ。凌太も駿平も本当にいい子で、何よりもこんな私を「お母さんお母さん」と頼ってくれていることに感謝しなくては、と思えるようになりました♪
 私は子供がなかなか授からず、不妊治療もしていましたが、今はその治療もやめてしまいました。実子を産むことにこだわるのはよそう、と思えるようになれたのも継子達のおかげです。だって実子がいなくても、こんなにいい子達がいるのですから。もちろん実子も自然に授かれば嬉しいのですが、今は継子達との将来の生活に目を向けて頑張りたいと思っています。子供が出来ないコンプレックスも彼らのおかげで解消されました。もし彼らがいなかったら、今ごろまだ治療治療で薬漬けの日々だったと思います。
 これから先、また何か新たな問題も出てくるかもしれません。でも私は大丈夫。時々血のつながりがないことを忘れてしまうくらい、ちゃんと愛せていますから。でもこれは私の努力ではなくて、やっぱり継子達や旦那様のおかげだと思います。嫌な子達なら絶対愛せないままだったと思いますし、旦那様はいつも子供達より私を優先してくれます。旦那様が私を大切にしてくれるから、私は継子達を大切にしていきたいと思えているのだと思うから・・・。「継母」はいつも心に葛藤があるけれど、それはきっと継子や旦那様みたいな実父だって一緒なのですよね。皆が皆、いい家庭を築こう、本物の家族になろう、という気持ちがなければ、ステップファミリーなんて絶対うまくいくわけないと思っています。

 


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