Part1
出会いから結婚まで

子供達との対面はもちろん結婚する前に済ませました。
新幹線を乗り継いで5時間程かかる旦那様の実家に挨拶に行くときの緊張感は今でも鮮明に覚えています。
 そして子供達と対面。
私は前妻と家族だった頃の子供達を覚えていましたが、彼らは当時まだ小さかったので記憶にないようで
「初めまして」
という挨拶をしました。
ありがたいことに凌太はすぐに懐いてくれ、駿平は当時まだ動物のような子で、くるくるくるくる人の周りを走り回ってるだけの子でしたが、それでも初めて会った夜、寝る時に誰の手でもない、この私の手を引いて自分の布団に連れて行ったのです。
それには旦那様や姑もびっくり!
あの駿平が、初対面の見知らぬ人を自分の布団に招くとは!
まだ「新しいお母さんだよ」という挨拶をしていなかった時です。それだけに余計にびっくり。

そんな出来事が障害児の駿平を
「私でも何とか育てられるかも」
という小さな自信に結びつけられました。
今でもこのことは私の心の支えです。
新しいお母さんだと知らされる前に、駿平が私を選んでくれたのですから。

「凌太が小学校卒業するまでは2人きりで」

という姑の配慮によって、私達は2人きりで新婚生活をスタートさせました。
当時長男の凌太は小学4年生。
「転校させるのもかわいそうだから」
ということで、あと2年ちょっと2人だけの新婚生活を送れるなんて
「何てありがたい」
と思ったけれど、結局それは姑側のただの「都合」だったのです。

 その頃会社側の配慮で子供達の住む旦那様の実家まで車で1時間弱、という支店に配属されていました。
それで結婚してからは「毎週末実家で過ごす」ということに自然となり、
平日は帰りの遅い旦那様を1人部屋で待ち、金曜日旦那様が帰ってくるのを待って、
夕飯も食べずにすぐさま車で実家へ行き、日曜日の夜、子供達が寝つくまでそこで過ごす日々でした。
誰も知る人のいない街で私は平日はとても孤独で。
だからといって金曜日の夜から日曜日の夜遅くまで過ごす実家での時間は更に苦痛なものでした。
「人の家」だから勝手もわからないし。
凌太は「お母さんお母さん」と懐いてくれていたけど、だからといって母親らしいことなんてしてあげれるわけもなく。
何となく落ち着かない日々。
ただそばにいて一緒にテレビを観たり、凌太のやるゲームをぼーっと見ていたり。
時間の流れがこんなにも遅いものだと初めて知りました。
 食事の支度ともなると姑と一緒にキッチンに立ち、当時会社を経営していて厳しい状況だった姑から金策を頼まれたり。
「退職金はいくらもらったの?」
「失業手当はどれだけもらえるの?」
といった攻撃。
会社の借金の残高まで聞いていないのに教えてくれたり・・・。正直「恐怖」でした。
 そして子供達への仕送りは毎月10万、障害児の駿平の特別児童手当の月5万と合わせて計月15万。
更にボーナス時はプラス10万ももちろん姑に全額渡しているのに、
駿平が何か壊した、弁償しなきゃ、となると支払いはすべてこちら持ち。
その他にも
「凌太がね、学校で黒いTシャツをもってこいって」
と言われれば、私が買わなくてはならず、もちろん代金はこちらもち。
 ガソリン代もバカにならず、毎月そんな金額を払っている上に行けばお菓子だパンだと子供達に買わされ、
経済的にもかなり苦しく、その上姑には
「月15万じゃ子供達のおやつ代にしかならない」
だの
「子供達のはもらっているけど、あんた達の分の食費代はもらっていない」
だのと文句を言われて耐える日々・・・・。
 とにかく苦痛な日々でした。
9月からそんな生活を続けてきたものの、結婚生活の実感が沸かず。
そして11月のある日、前日旦那様が飲み会だったので実家へは土曜日の朝から行くことに。
でも私は原因不明でその日起きあがれなくなるほど体が重くなり、
実家へは旦那様1人で行ってもらうことに。
寝こんでいる私を気遣って
「今日は行くのやめとくよ」
と旦那様が言っても、実家から凌太と姑からの「早く来い」攻撃。
行かないわけにはいきません。
「じゃ、夕飯もらって帰ってくるから」
と言って出ていった旦那様。私は一日中起きあがることも出来ずひたすら寝ていました。
・・・・でもなかなか帰ってきません。
夜になって旦那様の携帯に電話すると
「明日こっちで何かあるらしいからやっぱりこっちに今夜は泊まる」
と。
「そんな!朝から何も食べてないんだよ、私!夕飯もらって帰ってきてくれるって言ったじゃない!」
そう言うと
「じゃ、仕方ないから帰る」
的なことを言われ、それでもなかなか帰って来ず・・・。
やっと帰ってきたと思ったら、姑が持たせてくれた夕飯は「生米と生サンマ」でした。
「こんなのどうやって今から食べろというの?!」
さすがにキレて、結局ホカ弁を買ってきてもらい食べましたが、「さすがに限界」と思い、お金のこと、あちらで過ごす時間をもう少し減らしてほしいということetc、旦那様に申し出しました。
 でも
「仕送りは減らせない」
とのこと。ただ毎週金曜日に会社から帰ってきてすぐに実家に行くのではなく、たまには土曜日からにしてもらうこと、更にたまには実家に嘘をついてでも2人で過ごす週末を作ること、を約束してくれましたが、さすがに土日まるまる行かないのは無理で、たまに土曜日の昼間だけ2人で過ごせる、なんて時はありました。でもそんな短かすぎる時間ではどこにも行けず・・・。後は時折子供達に私達の家に来てもらって過ごしたりもしました。その方がまだ私が私らしく過ごせたのです。
 何度か
「お金も大変だし、毎週こちらに来るのも大変なので、子供達を引き取りたい」
と姑に申し出ましたが、子供達の養育費は大事な収入源。絶対に手放してはくれませんでした。
 そんな状況で、私の結婚生活は最悪なスタートとなりました。
 友達にはさんざん愚痴を聞いてもらいましたが、一番心配してるであろう親にはどうしても愚痴なんてこぼせなかったのも辛かったです。
「子供達もいい子だし、お義母さんもよくしてくれるよ」
と言って安心させることだけが唯一の親孝行だと信じていたので・・・。


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