Part1


出会いから結婚まで

前回の更新から随分空いてしまいました(;^_^A

えっと、2010年4月より、旦那様は単身赴任になりました。このまま定年まで全国各地を転々とすることになるかと思います。つまり私は今、継子達と3人で暮らしています。

 継子と3人で暮らす、なんてことは、結婚当初・・・いえ、継子達と同居してしばらく経っても、それは絶対あり得ないことだと思ってきましたし、「転勤になったら家族で引っ越すこと」が、結婚する時の約束でもありました。
血のつながり云々もそうですが、駿平の障がいのこともあります。継母の私が1人で育てるなんて、そんなの絶対無理だしあり得ない!とずっと思ってきました。

 でも、継子達と一緒に暮らしていく中で、「案外やっていけるかも?」という気持ちが芽生え、そんな中決め手となったのは、凌太の言葉でした。

「お母さん、俺、高校生になっても転校してもいいよ!だってお母さん1人で駿平を育てるのは大変だから。でも俺は大人になったら絶対仙台に戻って来るんだ。」

という一言。
ああ、この子は、仙台に居たくて居たくて仕方ないのに、それでも私の気持ちを重視して、転校してもいい、なんて言ってくれているんだ。なのに私は、そんな凌太に言い聞かせるように「転勤になったら転校だからね」と、いつも刷り込むようにずっと言い続けてきて本当に大人げがない。 そう反省しました。
 実際、駿平を1人で育てるのも確かに大変ですが、駿平の転校手続きがかなり面倒くさいというのも事実。転入前に見学に行かなきゃならない、など、色々あるんです。そして今通っている特別支援学校はとても駿平に合っていて、私も気に入っています。それなのに転校して、果たしてこの学校以上にいい学校に巡り会えるのか?というのも謎。それに学校に通っているうちはいいけれど、卒業後、せっかく就業できたとしても、引越、ともなると、また新しい就業先を見つけるのはかなり困難だというのも現実。凌太も仙台という街をとても気に入っているし、継子達にとっては、やはりこのまま仙台に残るのが一番だし、自然だと思いました。
そう思って、凌太が高校に進学したのを機に、仙台市内にマイホームも建て、ここで一生暮らしていくことを決意したのでした。ちなみに旦那様は7ヶ月ほどここに住んだ後、2010年4月、東京に転勤になりました。
結婚したからには添い遂げたいし、添い遂げたいから、結婚したんだし。だからまさか自分がこんな道を選択するとは思ってもみなかったけれど、一緒に暮らすことだけが添い遂げることだとは思わなくなりました、何よりやっぱり、受け入れた以上、継子達の人生も大事にしてあげないとならないと思うようになりました。
もうこれ以上、継子達を大人の都合で振り回すのはかわいそうだとも思ったし、大人の都合で振り回されることを受け入れている凌太の気持ちを考えたら、これからはもう少し、自分の人生では自分が主役でいてほしいな、と思いました。
 そう、親の離婚、再婚で彼の運命は大きく変わり、我慢することやあきらめることばかり覚えて生きてきたのだから。
 今は月に1.2度帰省する旦那様。電話はほぼ毎晩しています。携帯電話も家族間は無料でかけられる今、遠く離れていても案外近く感じられます。ありがたいですね。
 そして忘れもしない、2011年3月11日(金)東日本大震災(東北地方太平洋沖地震) の日は、午前中が駿平の中学部の卒業式で、休みを取って参列してくれていた旦那様と、式が終わってから2人で買い物に出た際、車の中で被災しました。単身赴任で、平日で、なので一緒に、しかも2人きりで被災するなんて思ってもみませんでした。・・・人生ってわからないものですね。
 これからも色々あるかと思いますが、旦那様とは離れていても強い気持ちで繋がっていたいと思っています。

 
 


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